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PROFILE自己紹介

古本伸一郎

1965年3月11日生まれ 51歳

香川県高松市出身、A型

4人家族 妻、一男一女

学歴・職歴

1983年
上宮高等学校卒業
1987年
立命館大学法学部卒業
1987年
トヨタ自動車株式会社入社 管財部
1994年
全トヨタ労働組合連合会
1996年
トヨタ自動車労働組合
2002年
トヨタ自動車株式会社 生産管理部
2003年
財団法人中部産業・労働政策研究会
2003年
第43回総選挙で衆議院議員初当選、5期

議員になってからの主な経歴

○ 国会

内閣委員、国土交通委員、外務委員、法務委員
郵政民営化特別委員、イラク支援特別委員
教育基本法特別委員
社会保障と税の一体改革特別委員
財務金融委員(現在)
憲法審査会委員(現在)
弾劾裁判所裁判員(現在)

○ 政府

財務大臣政務官

○ 党務

選挙対策委員長代理(現在)
党税制調査会副会長(現在)
民進党愛知県第11区総支部長(現在)

生い立ち

香川県高松市で生まれ、2歳まで過ごす。生家は旧専売公社とNHK放送局に近い商店街だが今はシャッター通り、小さな土地だけ残る。祖父は広島県江田島出身で旧逓信省に奉職し戦後は高松で小さな食堂や花火等を扱う雑貨店を営んだ。父は昭和一桁生まれ。破れた服、満足に食べられなかった世代。その分、子どもたちにはしてあげたいと育ててくれた。父は、兄弟を食べさせるために高卒で旧帝国銀行(三井銀行)に就職し定年まで勤め上げた昭和のザ・サラリーマン。高松市で実家が小さな印刷所を営む母とお見合い結婚し私は生まれる。

初出馬のプロフィールで離乳食は讃岐うどんと書いた。うどんは大好物。父の転勤により、幼稚園から小学校2年まで和歌山で過ごし、小学3年生からは大阪に住む。ずっと社宅住まいだったので小学5年生の時に父がローンで中古の家を購入した時は嬉しかった。大学入学により京都に下宿、卒業後はトヨタ自動車へ就職し愛知県豊田市へ。以来、30年、愛知県ですごしており育ての故郷となる。

生い立ち

原体験

多くの政治家が立派な経歴を持つが私は地味な人生を歩んで来た。今につながる気がする原体験がいくつかある。

座席取り

年中行事としてお盆に高松へ帰省した。新大阪駅から岡山駅まで新幹線で行き、宇高連絡船で瀬戸内海を渡る。わずか1時間の船旅も幼少には大きな冒険だった。行きはお土産を持ち、四国が見えてくると汽笛が鳴りカモメがよってくる。デッキで食べる立ち食いの連絡船うどんは素うどんだがカツオ出汁にネギと一枚の蒲鉾と天かすだけのシンプルなもので楽しみだった。帰りは遠のく四国を眺めては切なくなった。岡山と宇野港をつなぐ快速は自由席。身軽な私と姉が先にホームを駆け上がり両親の分の座席を確保するのが役目だった。小さな子どもが4人分の座席を取る訳で大人達の目が気恥ずかしかった。物怖じしない性分はこの原体験が生きている様な気がする。

座席取り


朝礼

和歌山市、堺市、高石市と小学校は3校を経験した。初登校の時、朝礼台にのぼり全校生徒の前で転入の挨拶をした。とても恥ずかしかった。生徒会長や級長等、政治家はリーダーを経験している人が多いが、私は転校の朝礼台で、人前で話す勇気を得たのかもしれない。

朝礼


修学旅行

高校は大阪の上宮高校に進学し、南海電車と近鉄電車を乗り継ぎ約1時間の通学だった。中学は帰宅部だったので硬派の男子校、折角ならと何を血迷ったかラグビー部に入った。根性なしで1年生の途中で退部となる。目標を失うがクラスメートが予備校の講習に行くと聞き自分も付き合ったら現役で合格し親孝行できた。人生万事塞翁が馬だ。野球部はカープの黒田投手をはじめ多くのプロを輩出している。クラスの野球部員の手はタコと深い切れ目、手の皮の厚み、努力の跡に感心した。でもこの程度じゃプロは無理と聞かされ厳しい世界と思う。司馬遼太郎先輩から吉本興業の吉野前会長に至るまで、人財の幅は母校の校訓、法然上人の教えである「正思明行」にあった。野球部が私たちを甲子園のアルプスに連れて行ってくれた。人文字で宮の宀の点を四人で構成した事が懐かしいがそれにも増して修学旅行が忘れ難い。クラスで存在感のなかった私が九州への3泊4日の旅、バスで補助席に乗り、サザンを歌って一瞬だけスターになった。人を笑わせたいと思う妙なサービス精神の原点だ。

修学旅行

学生時代

海外への憧れ

立命館大学の法学部に進んだ。法学部は、優秀な学生は司法試験や公務員試験志向で、私は勉強嫌いだったので民間と思っていた。1回生は何とか通学したが往復4時間は大変で2回生からは下宿した。何となく海外に憧れた時代、当時はTOEICやMBAも珍しかった。そこで手軽に英語に触れる方法はないか調べたら英語研究会を知った。部活で適当に喋っていたら音感で分かる様になった。先生役は全て上級生だったが彼らもまた留学経験はなく独学で学んだ。先輩には松下幸之助翁の秘書をされた方をはじめ、日本がグローバル化する夜明けにみんな頑張った。

幸せな性格

免許を取った事をきっかけに我が家に初めてマイカー、トヨタクレスタが来た。父は自分が乗りたいのを我慢してよく貸してくれた。問題は京都での駐車場だった。下宿先の近所で駐車場を見つけオーナーに月極料の代わりに、下手でも英語が喋れる様な気になっていたので、たまたま玄関先にいたお子さん(中学生)への家庭教師を申し出た。その生徒は京大法学部へ進み今では立派な弁護士だが後に細野豪志さんの同級生と知る。人は赤い糸で結ばれている。

現地現物

19歳で初めて海外に行った。カリフォルニアの小さな街で夏休みに短期のホームステイだった。乾いた空気と青い空、トヨタの赤いピックアップのハンドルを握るブロンドの女性が頬で挟んだトランシーバーが実は電話だと知り衝撃を受けた。現地現物は大事と思う。後に通信自由化を迎え自動車電話が売り出された時、新入社員の月給では清水の舞台だったが迷わず受話器、通信機、アンテナを注文した。寮で唯一の車載電話となったが、携帯端末の売り切りは規制改革が契機だった。政治が暮らしを変えると強く印象に残る。

学生時代2

ザ・サラリーマン

就職は、青臭く世界と日本の架け橋になりたいと思い商社を希望した。ところが日本を代表する商社の最終面接で「これからはメーカーだ」と聞かされ単純な私はそうかと思った。ご縁があってものづくり企業に就職した。改善の精神、生産性向上の考え方を学ぶ。人はみな今日より明日がよくなると信じて頑張っている。シンプルに考えれば人生、日々、改善かもしれない。若い頃はよく残業した。頑張った月ほど所得税も累進して増える事を知った。納税は国民の義務ではあるが若い時代は理不尽に感じた。それが具体的に政治に興味を持つ原点となった。所得税が高いと市役所に苦情を言おうか迷ったが、市役所は住民税担当でお門違い。所得税は財務省が担当する国税である事さえわかっていなかった。税を真剣に考えるきっかけだった。税は社会を創る力がある。間口の広さで課税したので京の町家は鰻の寝床となった様に、サラリーマンの税負担感をこの上なく感じる中、サラリーマンが報われる税にしたいと強く思うようになる。

ザ・サラリーマン


用地のおかげで工場がある

配属は管財部。トヨタの国内外の用地の管財をする部署で豊田市やみよし市の地主さんに用地を貸して頂いたり、譲って頂いたり、日参して交渉した事が懐かしい。工場ができれば道路が要る、用水や電力のインフラ、従業員の通勤経路と交通安全、排水、様々な事が地域の皆様とともに歩ませて頂く事を学ばせて頂いた。職場の先輩からオペレーションさせて頂く感謝の気持ちを歴史を教わった。振り返れば、工場用地の開発、そのための道路や許認可等は、政治家が地元で求められる大切な素地の一つだったかもしれない。

“子どもの寝顔を見た事がない”

というセリフは頑張る人の勲章だった私たちの年代。でも今は違う。男性もまた子育てをする権利があると考えてはどうかと思う。子どもを風呂に入れて寝かしつけるのは妻の仕事と考えず、男性も実はそうした子育てをする権利があると思うと世の中の風景がガラリと変わる。働き方や、子育てが話題だが、多くのサラリーマン、OLの皆さんが抱える悩みは時代とともに変化している。でも変わらないのは、“これはおかしい、どうすれば良くなるのか…”と思う、改善の気持ちを忘れずに持ち続ける事だ。

労働運動を通じて

参加する事

民主主義とは参加すること。政治とは参加から始まる。労働組合は長らく選挙の棄権防止活動を進めているが、選挙に参加する=民主主義の原点と思う。組合に29歳で出向し37歳で職場復帰するまで約8年間、組合活動に専従した。この間学んだ一番は参加することだった。労使交渉でも家族向けのフェスタでも全て主体的に参加することから始まった。これまでの人生は受け身ばかりだったのに、今度は自らがリーダーとなり人々に語りかける事の難しさや、心が通じた時の感動を覚えた。

スプレー

夏の暑い日に夜には冷房が止まった時代。大型コンピューターを設置している職場からは設備が熱を発して暑くてたまらないと苦情が来る。窓をあけると虫が入ってくるので開けられない。すぐに網戸を付けてくれと改善要望が寄せられた。庶務係にかけあうと企画書を書いて、稟議を回し、それから工事だと言われる。待っていられない…。そこで仲間と虫取りスプレーを買って来て職場に駆けつけた。喜ばれた。人は声を出してそれを聞いてくれる人を待っている。聞いてくれた次に行動してくれたら驚く。結果が伴えば信頼へとつながる。労働運動とは、よく聞く事だし、すぐに行動し、苦楽を共にする事だと学んだ。


選挙区

愛知県豊田市とみよし市からなる。人口48万人、北は岐阜県と長野県にも隣接する愛知県の選挙区でも一番の行政面積だ。主要な産業はモノづくり、自動車産業だが地域の皆様と共に歩んで来た歴史がある。旧東加茂郡と旧西加茂郡の6町村が平成17年の大合併で一緒になった。多くの町村議会議員が失職する英断は尊いものだった。旧東加茂郡旭町の元町長から伺った言葉が忘れられない。“山から旧豊田市へ、人と、食糧と材木、そして水を供給した”そのおかげで自動車産業が発展する基盤ができたのだと。

地下(じげ)でない私

妻は旧東加茂郡足助町の出身。私は西日本で育った言わばよそモノ。地元の言葉で“地下”ではない私が何とか選挙区で仕事をさせて頂くために、閉ざされていた入り口は、妻と亡くなった足助の父、お母さんたちの信頼のお陰で少しずつ開けて頂いた。この間、ことあるごとに“おまんの奥さんは足助か”と親しみをこめて語りかけて頂いた事にどれだけ助けられたか…私は足助に足を向けて眠れない。

生き甲斐

なぜ政治家になったのか?修学旅行に来てくれた豊田市、みよし市の中学生からよく頂く質問だ。民主主義とは何かと日本の中高生にたずねると「多数決」と答える。欧米の中高生は「参加する事」だと答える。多数決とはだれかが提供した選択肢を受け身で選ぶ事。でも、参加する事とは、選択肢の創造に自分たちも加わる事だと思う。中学生たちには、政治に参加して欲しいといつも語りかけている。政治家になった理由は、「自分でやった方が話が早いと思ったからかもしれない」

所得がガラス張りのサラリーマンは、税が理不尽と感じた若い頃の思いが、政治を意識した始まりだ。税は社会を創る力がある。2012年、旧民主党の与党の大仕事として社会保障と税の一体改革に取り組んだ。どんな職業でも老若男女でも等しく平等に納める消費税は極めて公平な税と思う。消費税を目的税にして年金、介護、老人医療、子育ての社会保障4経費に限定して使う目的税とした画期的な税財政改革をなし得た事は政治の本懐だった。超少子高齢社会は止まらない。あらためて「次の選挙より次の世代のための政治」が必要だ。党派を超えて仲間を募り、未来の姿を描く事に一層の生き甲斐を感じている。

生き甲斐

「天地人」

天の時、地の利、人の和。これは入社式で豊田章一郎社長、現トヨタ自動車名誉会長が新入社員に贈られた言葉。管財を通じて学んだ事、労働運動で身につけた事、そして出会った人々、様々が偶然にも重なり政治に出させて頂くご縁を頂いたと思う。人生って、わからないものだ。だからおもしろい。